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『赤備え』の武者の先駆者とは?次世代に受け継がれる朱色の魂。

どもっ。 朝から濃霧朝日で幻想的な風景を見ながら朝食をとったリオンリオです(*´∀`)

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なぜか戦国武将ブームにハマってしまっています。(笑)

『赤備え』って聞いたことありますか?

【赤備えとは】

戦国時代から江戸時代にかけて行われた軍団編成の一種

構成員が使用する甲冑や旗指物などの武具を、赤や朱を主体とした色彩で整えた編成を指す。

戦国時代では赤以外にも黒色・黄色等の色で統一された色備えがあったが、当時の赤色は高級品である辰砂で出されており、戦場でも特に目立つため、赤備えは特に武勇に秀でた武将が率いた精鋭部隊であることが多く、後世に武勇の誉れの象徴として語り継がれた。

(Wikipediaから引用)

赤備えの先駆者

赤備えの軍団といえば「武田(騎兵)赤備え武者」が最初に取り入れたとされています。

これは〈甲山の猛虎〉の異名を持つ"飯富虎昌"が最初に赤備えを採用したとされています。赤色はこの辰砂という硫化鉱物(水銀と硫黄からなるもの)のひとつです。この鉱物は顔料として古代より用いられてきました。

飯富虎昌(おぶとらまさ)とはどんな人物?

武田信虎の時代から武田家の譜代家老衆として仕え信濃国佐久郡内山城を領した。信虎追放後は、信玄に仕えた。信玄の信任厚く、嫡男武田義信の傅役や赤備えを率いる大任を務めたが、義信事件に連座し、切腹させられた。

飯富家は断絶し、家臣団は山県氏の名跡を襲った弟三郎兵衛が引き継いだ。

子には昌時がいたとされ、事件後は武田氏とも縁のある公家の三条家を頼って古屋姓を名乗ったという。

(Wikipediaから引用)

引き継がれる赤備えの魂

飯富家が断絶した後は"山県昌景"によって赤備え武者は引き継がれます。

しかし信玄亡き後の長篠の合戦にて赤備え武者は全滅します。その後は徳川家康支配下に入り"井伊直政"の部隊が赤備えを採用しました。

そして前にも書きましたが"真田信繁(幸村)"も大阪の陣にて赤備えを採用しています。

最後に

史実、《赤備え》を用いたのは"飯富虎昌(山県は引き継ぎ)"と"井伊直政"そして"真田信繁"3人です。いずれも武田家ゆかりの将たちです。

精鋭部隊が朱色で突撃していく様を思うだけで敵は身震いをし、味方は勇気づけられたことだと思います。時や時代は違えど受け継がれる"色"や"思い"などを考えるのも歴史の好きなところです。

 

貴重な時間と拝読を"ありがとう^^"ございます☆★

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