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『日の本一の兵』で称される幸村!真田家を誤解して覚えていませんか?

どもっ。昨日洗車したのに雨に見舞われそうでドキドキしているリオンリオです( ˊ̱˂˃ˋ̱ )フルナー

『日の本一の兵』という言葉を聞いたことはありますか?

さて今回は戦国武将で"織田信長"や"豊臣秀吉"そして"徳川家康"と同じくらい有名な真田幸村』こと本名《真田信繁(のぶしげ)》について書きたいと思います。

ゲームではKoei社の人気無双ゲームの"戦国無双"で初期から登場し、草刈正雄さん主演の大河ドラマでも制作されて認知する人も多いかと思います。

日本人の誤解

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ゲームや大河ドラマ真田幸村としての名前が多くの日本人に知られるようになりましたが本当の名前は真田信繁が正解なんです!信繁の直筆の書状や史料で信繁が「幸村」という名前を使っているものは一切見つかっていないそうです。

大阪の陣(夏・冬)で命尽きるまで「信繁」と名乗っていた書状が確認されています。また「幸村」と署名された古文書が2通見つかって現存していますがいずれも偽文書でした。結局のところ信繁が幸村と自称したことの証明にはなっていません。

なぜ幸村として知られた?

「幸村」という名前が見られるようになったのは大阪夏の陣が終わって60年後の寛文12年(1672年)です。その年に刊行された『難波戦記』という軍記物に幸村という名前が初めて登場したと言われています。『左衛門佐幸村』や『眞田左衛門尉海野幸村』などと名乗り登場するシーンがありましたが、先にも書きましたが実際に信繁が幸村と名乗ったことはなく豊臣方に呼ばれ大阪入りした(1614年)後の書状にも「信繁」を使用しています。

『幸村』という名前の説得力

「幸」という文字は真田家や海野家(真田家の本家)の通字(特定の家系において、代々用いられる字のこと)です。また「村」については"妖刀村正"が由来だと言われています。この妖刀村正は徳川家に仇なす刀とされています。

またこんな【俗説】も残っています。

  • 村正は幸村が腰につけていた(使用していた)刀だった。
  • 幸村の介錯の際に村正が用いられた。

などの俗説が残っています。しかしこれらは誤った伝えられ方で根も葉もない作り話であります。

最後に

大阪夏の陣大阪方の敗戦が濃厚になるなか"徳川家康の本陣"ただそれだけを目指し松平忠直隊15000人という大軍を突破して突き進みます。突破後も10部隊以上の徳川勢と交戦を経て家康の本陣に2度にわたり突入します。その攻勢のあまり家康は2度も追い詰められました。

後の世に真田信繁『日本一の兵(ひのもといちのつわもの)』という誉れ高き称号とともに後世に語り継がれてきました。

どんな強敵でも、たとえ望みが薄くても"家康の本陣"に辿り着くという並々ならぬ意思がもたらした偉業だと思うので、私たちも絶対にやるんだという強い意思があれば叶わないことはないのかもしれませんね。

 

貴重な時間と拝読を"ありがとう^^"ございます☆★

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